フジテレビの人気番組「ものまね王者決定戦」で「王者」の実績を持つ亘哲兵(わたるてっぺい)さん。現在は、舞台を中心にテレビなどでご活躍されていますが、ここまでの道のりには、いろいろと大変なご経験もあったそう。そんな亘さんに、今に至るまでの道のりと、タレントの命ともいえる「お肌」のお手入れについて、笑いを交えて語って頂きました。 | |
うちの家系は、家族や親せき一同、みんな目立ちたがり屋なんです。とくにオヤジは、町内の寄り合いがあると、いつも司会を買って出るようなタイプ。だから、きっと僕もその血筋を受け継いでいるんでしょう。小学生のころから人前に出るのが大好きで、先生や友だちのものまねをしては、クラスの友だちを笑わせていましたから。高校時代には、すでに竹中直人さんや田原俊彦さん、武田鉄也さんといった芸能人のものまねもレパートリーに加わっていましたし、学園祭で「ものまねワンマンショー」を披露したこともあるんですよ。(笑) |
だけど当時は、ものまねが仕事になるとは、考えてもいなかった。高校を卒業して2年間は、地元の長野で測量士として働いていましたからね。ちょうど僕が社会に出るころは、「長野オリンピック」の開催を控えて、地元が盛り上がっていた時期。オヤジが、「これからは、長野にもどんどん道路ができる。だからおまえは、測量士になれ!食いっぱぐれがないぞ」と言うもんだから、素直に従ったんですよ。(笑)でも、測量士の仕事は僕の性格に合わなくてね〜。当時は、毎日の仕事がイヤでしかたなかった。 そんなとき、気晴らしのつもりで参加したフジテレビの「発表!日本ものまね大賞」という素人ものまね番組で、「部門賞」をいただいたんです。これで嬉しくなっちゃって、「もう東京に出るしかない!」と。(笑)オヤジには猛反対されましたから、ケンカして家を飛び出しました。長渕剛さんの「とんぼ」を聴きながら、東京行きの深夜バスに乗り込んだことを、いまでもよく覚えてますよ。(笑)まだ二十歳でしたから、なんの不安やためらいもなかったですね。 |
上京して間もなく、六本木のショーパブに出演するようになったんです。ちょうど、バブル絶頂期でしたから、一日3回ステージに立ってものまねを披露すれば、ガッポリお金がもらえましたし、女の子にもモテた。「ものまねで、こんないい思いができるのか」と、僕にとっては夢のような生活でしたね。(笑)その間も、機会を見つけては、素人が出演するものまね番組に出ていたんです。そこで出会った芸能事務所の方から誘われたことがキッカケで、ショーパブを辞めて芸能事務所に所属することになりました。亘哲兵という芸名をもらって、本格的にプロとして活動をはじめるわけですが、ここからが辛かった。 すぐに仕事があるわけじゃないから、最初の2年間は、ずっとテレビ番組の前説ばかりをやっていたんです。 |
この前説が、なかなか大変でね。お客さんは、お目当てのタレントが登場するのを心待ちにしているから、いくら前説で僕が笑わせようとしても、誰も聞いちゃいない。(笑)だけど、そんな手ごわいお客さんを相手にしていたからこそ、度胸とスキルが磨かれたのかもしれません。 |
下積み生活から抜け出るキッカケとなったのが、フジテレビの「ものまね王座決定戦」という番組で優勝したことでした。この番組は、トーナメント形式で対戦し、ものまね王座を決定するんですが、僕は22歳で初出場して以来、13回連続して1回戦で敗退していたんです。本当に悔しくてね…。ものまね四天王のひとりである、大先輩の栗田貫一さんに、「どうして勝てないんでしょうか…」と相談していたくらいなんですよ。そして、14回目の出場が決まった26歳のとき。なんと、1回戦の対戦相手が、栗田貫一さんだったんです。緊張している僕に栗田さんは、「応援しているから、がんばれ」と、舞台袖で声をかけてくれた。対戦相手の僕にですよ!嬉しかったなぁ。 |
それで僕は、すごく気持ちがラクになって、胸を借りるつもりで思い切ってやれたんです。アラジンの「完全無欠のロックンローラー」を熱唱しました。そしたらなんと、栗田さんを破って念願の1回戦突破!あのときは感極まって、声をあげて泣いてしまいましたね。それからトントン拍子に勝ち進んで、優勝。次の日からは、いままで真っ白だったスケジュールが、いきなり真っ黒ですよ。(笑)それ以後は、もう前説をしなくてすむようになりました。(笑) |
最近は、ものまね以外にも、仕事の幅を広げています。じつは昨年、韓国ドラマ「チュモン」のアテレコをさせていただいたんです。「チュモン」は、韓国での最高視聴率が52.67%もあった国民的人気ドラマで、日本でもフジテレビで放送され、大反響がありました。じつは僕自身、大の韓国ドラマずき。「冬のソナタ」から見はじめて、「チャングム」「ホジュン」「真実」「秘密」、と数え切れないくらいの韓国ドラマを見てきましたから、このアテレコの仕事をいただいたときは嬉しかった〜!(笑)韓国ドラマって、ありえないくらいドラマティックだし、俳優たちの演技が熱いでしょ。それに、なんといっても、出演者たちが流す“涙”がいい!(笑)とくに、これまで見た韓国ドラマのなかでは、「悲しき恋歌」のなかで、主演のキム・ヒソンが流した涙は忘れられませんね。僕、キム・ヒソンが来日したときは、「ファンの集い」に参加しましたから。(笑)芸能人は僕ひとりでしたけど。(笑) だからこれからも、韓国ドラマのアテレコの仕事はしていきたいですね。趣味と実益を兼ねていますから。(笑) |
舞台やテレビに出るときには、必ずメイクをするんですが、よく「亘さんは肌がキレイですね」と、メイクさんにいわれるんですよ。自分でも「キメ細かい肌だな」と思ってるんですが(笑)、敏感肌なので、時々かゆくなったりして、調子が悪い時があるんです。 だけど、『クリア、ロマンティック化粧水』を使うようになってからは、すごく肌の調子が良いですよ。ヒゲそりあとのケアにもぴったりだし、「いいもの見つけたな〜」と喜んでいます。さっそく、事務所の社長にも薦めているんですよ。(笑) |
僕には、ひとつ大きな夢があるんです。将来的に、「亘哲兵一座」を旗揚げして、ものまねあり、歌あり、お芝居ありの熱いステージを作りたいって。どうも僕は、テレビよりも、むしろ舞台のほうが好きでね。舞台は、音響から照明、演出まで、すべて自分のペースで進められますから、その分、自由に楽しめるんです。それに、最初は「誰この人?面白いの?」なんて斜に構えているお客様が、ステージが進むにつれて、だんだん前のめりになり、最後には大笑いして喜んでくれる姿を見られるのが、何よりもの醍醐味なんです。 ですから今後も、お客様が腹を抱えて笑ってくれるような、熱いステージを作っていきたいですね。 |
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